◆私の好きな鉄道風景◆ −35−

私の好きな鉄道風景
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真っ赤な定期入れに収まった幼稚園までの通園定期券。私が始めて 手にするもの。入園前日の穏やかな昼下がりに、私は幼稚園での 制服を身につけ、黄色い鞄に黄色い帽子、そして真っ赤な定期入れ を持って、父親のカメラにポーズをとります。

春の日差しが心地よい4月のある日。私は両親に付き添われて、3 つ先の駅まで電車に乗りました。この電車は神戸電気鉄道。たった一両 だけの木造の電車です。出発するとき「ぎぃ」という音がします。 カーブに差しかかれば、吊り革が網棚に当たってカチカチと鳴ります。 何もかもが目新しいものばかりでした。

一両だけの木造電車は、比較的大きな谷上という駅に到着しました。こ こが私の通う幼稚園のある駅です。木造の電車から降りて、木造 のホームを歩き、木造の駅舎を抜けます。改札の左手には、売店があ り、おばあさんがにこにこしながらこっちを見ています。たんぼには れんげ草が咲いています。

木造の駅舎の前には、有馬街道を越えるための陸橋が設けられてい ます。この陸橋を渡り通学路を進むと、かなりの坂道がそこにありました。 小学校の脇を通り抜け、階段を登るとそこが幼稚園。菊組の私は、 胸にオレンジの菊の名札を付けています。そこにはひらがなで私の 名前が書かれていました。

園内には私と同じように手を引かれた園児たちが並んでいました。 私は好奇心旺盛だったのか、幼稚園の建物の2階から地上へと続くすべ りだいを見つけ「あれに乗りたい」と言ったそうです。それは実は 非常用のすべりだいだったのです。

木造の、一両だけの電車が走ります。前照燈が真ん中に一個だけ鋭く光 っていました。車内に油引きのあとが見えると「もうすぐ学校でも油引 きかな」と思ったりしました。定期券をしっかりと鞄に付けて、友達と 一緒に電車に乗って、毎日通う道のりは楽しいものでした。

今も、谷上駅から見える小学校の赤い屋根と、その隣の幼稚園の建 物を見るたびに、当時のことを思い出すのです。私と電車の接点となった この時代。今の私に旅の楽しさを教えてくれた原点とも言える、この時代。

当時の駅は移設されても、私の心の中では、いつも木造の駅舎に電 車が発着しています。

−35−完−


Written By marumi.