春の日差しが心地よい4月のある日。私は両親に付き添われて、3 つ先の駅まで電車に乗りました。この電車は神戸電気鉄道。たった一両 だけの木造の電車です。出発するとき「ぎぃ」という音がします。 カーブに差しかかれば、吊り革が網棚に当たってカチカチと鳴ります。 何もかもが目新しいものばかりでした。
一両だけの木造電車は、比較的大きな谷上という駅に到着しました。こ こが私の通う幼稚園のある駅です。木造の電車から降りて、木造 のホームを歩き、木造の駅舎を抜けます。改札の左手には、売店があ り、おばあさんがにこにこしながらこっちを見ています。たんぼには れんげ草が咲いています。
木造の駅舎の前には、有馬街道を越えるための陸橋が設けられてい ます。この陸橋を渡り通学路を進むと、かなりの坂道がそこにありました。 小学校の脇を通り抜け、階段を登るとそこが幼稚園。菊組の私は、 胸にオレンジの菊の名札を付けています。そこにはひらがなで私の 名前が書かれていました。
園内には私と同じように手を引かれた園児たちが並んでいました。 私は好奇心旺盛だったのか、幼稚園の建物の2階から地上へと続くすべ りだいを見つけ「あれに乗りたい」と言ったそうです。それは実は 非常用のすべりだいだったのです。
木造の、一両だけの電車が走ります。前照燈が真ん中に一個だけ鋭く光 っていました。車内に油引きのあとが見えると「もうすぐ学校でも油引 きかな」と思ったりしました。定期券をしっかりと鞄に付けて、友達と 一緒に電車に乗って、毎日通う道のりは楽しいものでした。
今も、谷上駅から見える小学校の赤い屋根と、その隣の幼稚園の建 物を見るたびに、当時のことを思い出すのです。私と電車の接点となった この時代。今の私に旅の楽しさを教えてくれた原点とも言える、この時代。
当時の駅は移設されても、私の心の中では、いつも木造の駅舎に電 車が発着しています。