平成5年東海道ブルトレから食堂車が消え、翌年には東海道の看板列車が消えた。 国鉄からのフ ァンにとっては悲しい出来事であった。私は乗り納めのため、最後の8月を迎えた下 り「みずほ」に乗った。
工事で狭い東京駅9番線のたたずまいは、優等列車のホームにはふさわしくない。向 かいのホームから、こちらの写真を撮る人がいる。やはり惜別なのだろうか。
さて、私は2号車に乗車。幼い頃「さくら」に乗って以来10年ぶりのオロネ(A寝台) は、シートモケットは張り替えられていたが、老朽化の色は隠せなかった。それから、下関車掌区 特製「みずほTシャツ」は売り切れだった。 横浜を出て、食堂売店車に行くと、夏休みもあってか日食氏は2人乗務で、7時でも 売店の営業をしていた。ビールとたこ焼きを注文し席に着く。食堂車内は女子高の先 生たちも席に着き、そのにぎやかさは、過去の食堂車のようでとてもうれしかった。
ほろ酔いの大船駅では臨時停車。先行貨物列車が沼津で脱線したらしく、私は運行中 止をとても心配した。結局列車は4時間遅れで熊本へ着くことになった。 でも、おかげで4時間も長く乗れたし、朝食も昼食も食堂車でとることができた。ま た、寝台セットも急きょ車掌さんがやることになり、伝説の車掌補復活をも見ること ができたのである。
そして終点熊本駅。回送で引き上げる車掌さんが、私を乗り納め客と思ったらしく、 窓から挙手の礼をして去っていった。私は頭を下げてみずほを見送った。
素晴らしい思い出をくれたみずほ。本当にありがとう。彼女はもういないが、これ こそ心の中でいつまでも走り続ける列車なのだろう。