13時17分、肥薩線人吉駅を観光列車「いさぶろう」は発車する。明治42年11月 の肥薩線の開業により青森〜鹿児島までが一本のレールで結ばれた際に携わった人物の 名前がこの列車の由来であり、下り列車を「いさぶろう」、上り列車を「しんぺい」と 名づけたそうである。
球磨川の鉄橋を渡りしばらく進むと、左手にこれから登ろうとするスイッチバックが 見え、大畑(おこば)駅に到着する。大畑駅から一旦逆向きに進行、先ほどのスイッチ バックに入る。スイッチバックからは進行方向は元に戻り、ここから先はループ線に なる。日本唯一のスイッチバックを持つループ線である。「いさぶろう」はループ線を ゆっくりと進み、木々の間の隙間で一旦停止する。眼下に見えるのは、先ほど通った 大畑駅である。山の中、一人取り残されたような大畑駅はどことなく寂しげである。
ループ線が終わり、さらに急勾配の坂を「いさぶろう」は進む。その頂上が矢岳駅で ある。その標高は536.9m。人吉駅から430mもの勾配を登ってきたことになる。 ここには、さよなら列車を引いたD51の170号機が保存展示されており、この 兄弟は現在でも「SLあそBOY」として頑張っている。
さて、ここからは一気に標高213mまで一気に滑り降りていく。「いさぶろう」は 大きなエンジン音をあげ、幾つものトンネルをくぐり抜け、途中、真幸(まさき)駅 を左手下方に見ながら、2つめのスイッチバックに入り停車。「いさぶろう」は逆 向きに進みながら、真幸駅に滑り込む。真幸駅はその駅名通り、真の幸福を呼ぶという 縁起の良い駅であり、この駅の鐘を鳴らすことで幸せを呼ぶことができるという。
元の向きに戻り真幸駅を出発した「いさぶろう」は、終点の吉松駅に向けて再度 坂を下って行く。この途中のトンネルは、昭和20年8月22日、復員軍人を乗せた SLが坂の途中で坂の勾配に立ち往生。SLの煙で息苦しくなった軍人がトンネル外 へ避難しようとしたそのとき、SLの力が尽き、逆走。53人もの軍人達が轢死した という悲しい事故現場となっている。今でもトンネルに向けて話しかけると、行き場 のない軍人達の霊が返事をしてくれるという、ミステリースポットである。 「いさぶろう」は軍人達の霊を慰めるかのようにトンネルをゆっくりと進んでいく。
トンネルを抜けると、えびの高原の景色が広がる。「いさぶろう」の横を走る吉都線 と合流、終点の吉松で「いさぶろう」は任務を「しんぺい」に委ねる。 所要時間75分の長く、そして短い、鉄道の歴史の旅である。